会津より綴る 花越しの空
花越しの空
桜の花越しに見る空の蒼さが、私は大好きである。来年も、この花を、この空の蒼さを、見ることが出来るだろうか。毎年、そう思いながら空を仰いできた。
こんなにも長く生きられようと、誰が想像しえただろう。自分でも信じられない。
22歳で倒れ、長い闘病生活に入った私は、7年間の入院と、5年間のリハビリの転地療養を余儀なくされた。
その間、どれほど膨大な化学薬品が私の体に用いられたことか。唯、そのお陰で命があることを思うと、ご恩は忘れられない。
それでも、何十年も前の注射針の痕が、各所に刺青のようになって未だに残っているのを目にする度に、不安に駆られる。私の体内には、不要になった化学物質のようなものが排出しきれないままに残っているのではないか。それらが、時として悪さをするのではないか、と。
それなら、何とかこの体内を浄め、体内の澱みをなくすことに、先ずは心を尽くさなければと思うようになった。
改めて、フローラの社是に胸を打たれた。
一、心と体の浄化 二、引き算の健康法を目指すとあった。私の願いそのものだった。
その頃、カナダ大使館でウド博士の講演があり、大使館などに初めて入った。博士は若々しく素敵な男性で、何と私と同じ年だった。吃驚した。「純正・ウドオイル」の生みの親として、よい油と悪い油について話された。悪い油は、よい油でしか落せないという。
私は、それ以来20年、ウドズオイルを食べ続けている。トーストに、サラダ、みそ汁、何にでもかける。
5月は私の誕生月である。この頃、年より若い、なんて言われて愚かにも喜んでいるが、もう年も数えまい。今まで、この心と体で学んできた健康法を静かに守り、静かに生きてゆきたい。
こんなにも長く生きられようと、誰が想像しえただろう。自分でも信じられない。
22歳で倒れ、長い闘病生活に入った私は、7年間の入院と、5年間のリハビリの転地療養を余儀なくされた。
その間、どれほど膨大な化学薬品が私の体に用いられたことか。唯、そのお陰で命があることを思うと、ご恩は忘れられない。
それでも、何十年も前の注射針の痕が、各所に刺青のようになって未だに残っているのを目にする度に、不安に駆られる。私の体内には、不要になった化学物質のようなものが排出しきれないままに残っているのではないか。それらが、時として悪さをするのではないか、と。
それなら、何とかこの体内を浄め、体内の澱みをなくすことに、先ずは心を尽くさなければと思うようになった。
改めて、フローラの社是に胸を打たれた。
一、心と体の浄化 二、引き算の健康法を目指すとあった。私の願いそのものだった。
その頃、カナダ大使館でウド博士の講演があり、大使館などに初めて入った。博士は若々しく素敵な男性で、何と私と同じ年だった。吃驚した。「純正・ウドオイル」の生みの親として、よい油と悪い油について話された。悪い油は、よい油でしか落せないという。
私は、それ以来20年、ウドズオイルを食べ続けている。トーストに、サラダ、みそ汁、何にでもかける。
5月は私の誕生月である。この頃、年より若い、なんて言われて愚かにも喜んでいるが、もう年も数えまい。今まで、この心と体で学んできた健康法を静かに守り、静かに生きてゆきたい。
大石邦子(おおいし・くにこ)
著述家、エッセイスト。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。
商品特徴
会津より綴る 花越しの空
花越しの空
桜の花越しに見る空の蒼さが、私は大好きである。来年も、この花を、この空の蒼さを、見ることが出来るだろうか。毎年、そう思いながら空を仰いできた。
こんなにも長く生きられようと、誰が想像しえただろう。自分でも信じられない。
22歳で倒れ、長い闘病生活に入った私は、7年間の入院と、5年間のリハビリの転地療養を余儀なくされた。
その間、どれほど膨大な化学薬品が私の体に用いられたことか。唯、そのお陰で命があることを思うと、ご恩は忘れられない。
それでも、何十年も前の注射針の痕が、各所に刺青のようになって未だに残っているのを目にする度に、不安に駆られる。私の体内には、不要になった化学物質のようなものが排出しきれないままに残っているのではないか。それらが、時として悪さをするのではないか、と。
それなら、何とかこの体内を浄め、体内の澱みをなくすことに、先ずは心を尽くさなければと思うようになった。
改めて、フローラの社是に胸を打たれた。
一、心と体の浄化 二、引き算の健康法を目指すとあった。私の願いそのものだった。
その頃、カナダ大使館でウド博士の講演があり、大使館などに初めて入った。博士は若々しく素敵な男性で、何と私と同じ年だった。吃驚した。「純正・ウドオイル」の生みの親として、よい油と悪い油について話された。悪い油は、よい油でしか落せないという。
私は、それ以来20年、ウドズオイルを食べ続けている。トーストに、サラダ、みそ汁、何にでもかける。
5月は私の誕生月である。この頃、年より若い、なんて言われて愚かにも喜んでいるが、もう年も数えまい。今まで、この心と体で学んできた健康法を静かに守り、静かに生きてゆきたい。
こんなにも長く生きられようと、誰が想像しえただろう。自分でも信じられない。
22歳で倒れ、長い闘病生活に入った私は、7年間の入院と、5年間のリハビリの転地療養を余儀なくされた。
その間、どれほど膨大な化学薬品が私の体に用いられたことか。唯、そのお陰で命があることを思うと、ご恩は忘れられない。
それでも、何十年も前の注射針の痕が、各所に刺青のようになって未だに残っているのを目にする度に、不安に駆られる。私の体内には、不要になった化学物質のようなものが排出しきれないままに残っているのではないか。それらが、時として悪さをするのではないか、と。
それなら、何とかこの体内を浄め、体内の澱みをなくすことに、先ずは心を尽くさなければと思うようになった。
改めて、フローラの社是に胸を打たれた。
一、心と体の浄化 二、引き算の健康法を目指すとあった。私の願いそのものだった。
その頃、カナダ大使館でウド博士の講演があり、大使館などに初めて入った。博士は若々しく素敵な男性で、何と私と同じ年だった。吃驚した。「純正・ウドオイル」の生みの親として、よい油と悪い油について話された。悪い油は、よい油でしか落せないという。
私は、それ以来20年、ウドズオイルを食べ続けている。トーストに、サラダ、みそ汁、何にでもかける。
5月は私の誕生月である。この頃、年より若い、なんて言われて愚かにも喜んでいるが、もう年も数えまい。今まで、この心と体で学んできた健康法を静かに守り、静かに生きてゆきたい。
大石邦子(おおいし・くにこ)
著述家、エッセイスト。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。
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