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【読みもの】会津より綴る 第1回

【読みもの】会津より綴る 第1回
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コロナよ、お手柔らかに
 日本中が目に見えない不安に怯えながらの生活を余儀無くされて、早半年になろうとしています。皆様ご無事にお過ごしでしょうか。

 新型コロナウイルスと、どう折り合いをつけながら生きてゆくか、日本初の「緊急事態宣言」を前に、私たちは誰しもが、そのことを考えずにはいられなかったと思います。

 「三密」「不要不急」「濃厚接触」、聞いたことも、使ったこともない言葉が、守るべき自粛の要請事項として示されました。

「濃厚接触」に至っては、一人恥ずかしく頬が熱くなりました。愛し合う2人が、手を握ったり抱擁したりする姿を言うのだと思ったのです。自分の無知さ加減に、それこそ恥ずかしい限りです。

 私は22歳の時から、不要不急の外出など、したくとも出来ない日常を生きてきました。

 ほゞ寝たきりの7年と、5年のリハビリを経て、車椅子乍ら叶った自宅復帰でした。
現在も自粛なき日常などは考えられませんが、私には、どんなに不自由でも自宅で暮らせる幸せ以上の幸せはありません。

 時には落ち込むこともあります。そんな時、思い出されるのは、嘗ての現実を受け容れられなかった日々の葛藤です。

 見舞いの人が、私の手を握りしめて言いました。「この世に無駄な経験なんてないんだからね」私は猛烈に反発し、「無駄でもなんでも、こんなのイヤダ~」と泣いたものです。

 コロナを知ってからも、何度「イヤダ~」と思ったか知れませんが、逃げようもなく、私は自分にできる範囲での身辺整理と断捨離を計画し、取り組みました。

 心身の整理がついてゆくと、とても気持ちが楽になりました。まだ中途ですが、何かあると姿なきコロナに呟き、怒り、日々のメモ帳に残しています。
「コロナよ、お手柔らかにノート」です。
大石邦子(おおいし・くにこ)
著述家、エッセイスト。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。

商品特徴

【読みもの】会津より綴る 第1回

【読みもの】会津より綴る 第1回
コロナよ、お手柔らかに
 日本中が目に見えない不安に怯えながらの生活を余儀無くされて、早半年になろうとしています。皆様ご無事にお過ごしでしょうか。

 新型コロナウイルスと、どう折り合いをつけながら生きてゆくか、日本初の「緊急事態宣言」を前に、私たちは誰しもが、そのことを考えずにはいられなかったと思います。

 「三密」「不要不急」「濃厚接触」、聞いたことも、使ったこともない言葉が、守るべき自粛の要請事項として示されました。

「濃厚接触」に至っては、一人恥ずかしく頬が熱くなりました。愛し合う2人が、手を握ったり抱擁したりする姿を言うのだと思ったのです。自分の無知さ加減に、それこそ恥ずかしい限りです。

 私は22歳の時から、不要不急の外出など、したくとも出来ない日常を生きてきました。

 ほゞ寝たきりの7年と、5年のリハビリを経て、車椅子乍ら叶った自宅復帰でした。
現在も自粛なき日常などは考えられませんが、私には、どんなに不自由でも自宅で暮らせる幸せ以上の幸せはありません。

 時には落ち込むこともあります。そんな時、思い出されるのは、嘗ての現実を受け容れられなかった日々の葛藤です。

 見舞いの人が、私の手を握りしめて言いました。「この世に無駄な経験なんてないんだからね」私は猛烈に反発し、「無駄でもなんでも、こんなのイヤダ~」と泣いたものです。

 コロナを知ってからも、何度「イヤダ~」と思ったか知れませんが、逃げようもなく、私は自分にできる範囲での身辺整理と断捨離を計画し、取り組みました。

 心身の整理がついてゆくと、とても気持ちが楽になりました。まだ中途ですが、何かあると姿なきコロナに呟き、怒り、日々のメモ帳に残しています。
「コロナよ、お手柔らかにノート」です。
大石邦子(おおいし・くにこ)
著述家、エッセイスト。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。

商品情報

2020年9月14日

【読みもの】会津より綴る 第1回

コロナよ、お手柔らかに
 日本中が目に見えない不安に怯えながらの生活を余儀無くされて、早半年になろうとしています。皆様ご無事にお過ごしでしょうか。

 新型コロナウイルスと、どう折り合いをつけながら生きてゆくか、日本初の「緊急事態宣言」を前に、私たちは誰しもが、そのことを考えずにはいられなかったと思います。

 「三密」「不要不急」「濃厚接触」、聞いたことも、使ったこともない言葉が、守るべき自粛の要請事項として示されました。

「濃厚接触」に至っては、一人恥ずかしく頬が熱くなりました。愛し合う2人が、手を握ったり抱擁したりする姿を言うのだと思ったのです。自分の無知さ加減に、それこそ恥ずかしい限りです。

 私は22歳の時から、不要不急の外出など、したくとも出来ない日常を生きてきました。

 ほゞ寝たきりの7年と、5年のリハビリを経て、車椅子乍ら叶った自宅復帰でした。
現在も自粛なき日常などは考えられませんが、私には、どんなに不自由でも自宅で暮らせる幸せ以上の幸せはありません。

 時には落ち込むこともあります。そんな時、思い出されるのは、嘗ての現実を受け容れられなかった日々の葛藤です。

 見舞いの人が、私の手を握りしめて言いました。「この世に無駄な経験なんてないんだからね」私は猛烈に反発し、「無駄でもなんでも、こんなのイヤダ~」と泣いたものです。

 コロナを知ってからも、何度「イヤダ~」と思ったか知れませんが、逃げようもなく、私は自分にできる範囲での身辺整理と断捨離を計画し、取り組みました。

 心身の整理がついてゆくと、とても気持ちが楽になりました。まだ中途ですが、何かあると姿なきコロナに呟き、怒り、日々のメモ帳に残しています。
「コロナよ、お手柔らかにノート」です。
大石邦子(おおいし・くにこ)
著述家、エッセイスト。
会津女子高等学校卒業後、出光興産会津事務所に入社。1964年に交通事故に遭い、半身不随となる。長期間の闘病・車いす生活を送る一方、著述家として活躍。
著書に『この生命ある限り』他多数。